大腸癌と診断されてから手術を経てほぼ再発はないと言われるまでの記録

ある日いきなり「あなたは癌です」と言われたら、あなたならどうしますか。そんな経験をした私がどのような体験をし、どのような思いで乗り切ったかを綴ってみました。同じような立場に陥っても希望をなくさないように参考にしていただけたら幸いです。

入院時の状況
ある日どうも体調が悪く激しくもないがいつもと違う腹痛があり、なんとなく不安を感じていつもならちょっと休めば治るだろうぐらいに思うところなのに、出社の前に病院寄って行こう位の気持ちで病院へ行く。
診察を受けてから次々に検査をうけて、だいぶ待たされる。しばらくして、
「あなたは今日は帰れないよ」「家族の方に来てもらってください」なんて言われたら、何が起こっているのかわからない状態で、「あのー・・午後でもいいですか?」の返事にたいして、「だめです。今すぐです」
と厳しい顔で言われる。

入院手続きをするでもなく、広い処置室の隅の簡単な処置用ベットに寝かされて家族の来るのをじっと待つ。
何時間が経ったろうか、ようやく、今の状況を教えてもらえる事になった。

要するに、大腸がパンパンに膨らんでいていつ破裂するかわからない状態なのだそうで、その原因が大きな腫瘍でふさがっているとのことでした。現時点ではその腫瘍が何であるかもわからないので、しっかり調べてから手術をしたいのだが、もし破裂してしまえば命の保証はないだったようです。

その後入院が決まって、いつでも手術できる状態で待機していました。少したってから状況が安定したから、精密検査をすることになってその結果が出ました。ただしこの時点では本人には良性か悪性かは取ってみないと判らないと言ってましたが、家族には悪性の癌でステージ 3のB だと告げていたようです。

このころだとステージ3のBは、5年生存率10%でかなり難しい状況だったようです。

しかし、今ではこの状態でも生存率60%ぐらいまで上がってきているようです。(大腸がん情報サイト)による。

詳しい癌の状況
病名   上行結腸癌(大腸の右側の部分)
進行具合 ステージ 3 の B でリンパ節に転移あり
症状   ずっと便秘状態であったが完全に出ないわけではなかった。
      ただし量は少なかった。
     2 年前の健康診断で検便にて少量の血液反応あり。
      大腸カメラでは異常なし。
     半年前の健康診断で同じく少量の血液反応あり。
      またかと言う事で放置

上行結腸に癌ができた場合まだ便が柔らかいため詰まることが少ないので自覚症状が出るときには相当進んでいる場合が多い。それに比べ横行結腸や下行結腸にできた場合は少しの大きさでも便が出なくなるので自覚症状で早く気付くようです。
このため定期健康診断での便検査が早期発見には絶対必要です。

いよいよ手術
手術前には上行結腸すべて取ります。リンパ節も取れるだけ取ります。と言う事で手術室に向かう。手術室は思ったよりだだっ広くヒンヤリした空気が広がってました。麻酔医の女の子が真剣な顔で私の顔を覗き込んでるのが印象的で、このまま二度と目が覚めないのかな、なんて考えてました。麻酔が始まり「ハイ数を数えますね。1・2・3・・」ぐらいまでは覚えているが、後は全く記憶にない。

何時間か後だと思うが、気が付くと個室で色々な機械が周りにあり、気ぜわしく動いていました。
看護婦さんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたので、まだ生きてることを実感した次第です。
その後、明日から歩いてもらいますからそのつもりでと言われた時には一瞬手術してから何日もたってしまったのかなと、自分の記憶があいまいになるほどの驚きでした。
結局歩きだしたのは、3日ほどたってからでしたが、すぐ歩くのは今は常識だそうで、これでないと術後の腸の動きが良くならないのだそうです。

手術の詳細報告
お医者様より手術の詳細報告がありました。患部はすべて無事とれたそうですが、予想通り、リンパ節への転移があり、8か所摘出したとのことですが全部は取れていないとのことで転移の可能性はありますので、経過観察をしましょうと言う事でした。それから、胆のうに影がありましたので一応切除しておきましたが、原因は石でしたという報告とともに瓶に入った石状の物体を見せられました。そういえば、以前何度か激しい腹痛で来院しましたが原因不明と言う事で今に至っていたのですが、これが原因だったのか。
しかし、入院予定は2週間と言う事でしたので治ったのかあきらめたのか複雑な気持ちでした。その後は化学療法を行うと言う事で抗がん剤の治癒を行うことになりました。

その後の経過
手術後2日目の夜に今まで味わったことのないような激痛に襲われ、一晩中2時間おきに看護婦さんを呼び鎮痛剤を処方していただきましたが、全く効かないため夜勤のお医者様がこれが効かなかったら方法ないねと言いながら、注射をしてくれて半分意識がなくなるような思いをして何とか夜が明けたのを覚えています。普通はこんなことはないのだそうで、痛みに弱いようですねといわれてしまいましたが、そんなレベルでの痛みでははないと言いたかったです。(以前胆石の痛みや、尿道結石を経験しているがそちらの痛みだったら鎮痛剤なしで我慢できたのに)

その頃の精神状態
癌で転移の恐れが高く普通なら恐怖で暗い気持ちになり、何もやる気が起きないこんな状態になるのかなと自分なりに分析していたのですが。不思議なことに、恐怖感よりも周りの人がどんな気持ちでいるのか、自分に気を使って大変な思いをしているのでは、という思いの方が強く見る夢も、自分亡き後の家族の様子を近くで見ているようなものばかりでした。
そこで気が付いた事は、こんなところで死ぬわけにはいかない絶対精神力で治って見せるぞ自分にできることを精一杯やるだけだ。という思いでした。
プラス思考例えば、5年生存率が10%と言う事は5年後10人のうち1人は生きていれる。再発率80%と言う事は10人のうち2人は治るんだ。という事を本気で考えることが大切だと言う事です。

その後の経過2
1週間経過し、2週間経過したころ普通なら退院時期のはずがいつまでたっても、鼻からの管と点滴が外されることはなく、食事もとれない状態が続いていました。それでも毎日病棟内を点滴と鼻からの管等をを引きずりながら散歩を繰り返していました。診察結果はまだ、腸の動きがよくないのでもう少し様子を見ます。の繰り返しで、3週間たち4週間と経ってしまいました。
このころになると、すれ違う人たちから頑張ってるね。あまり無理しないでねなど、たくさんの声がかかるようになっていました。たぶん歩く姿に悲壮感はなく、楽しそうに見えたのだと思います。体重は日に日に減少していき、15kg以上減ったと思います。このくらい経過すると腕からの点滴だけでは養分の補給が間に合わないのと、注射針の跡だらけで指すところがなくなるということで、首の静脈血管からの点滴に変更されました。症状の改善がないので、もうそろそろ再手術を考えないといけないとまで言われましたが本人は、絶対大丈夫、症状が悪化しているわけでもないのは良い兆しと思い込んでいました。
それよりも、同じ病棟の同じ癌での手術をした人たちのことが妙に気に気にかかっていました。病院では近くの病室には同じぐらいの重さの人たちが集められているようで、私の近くの病室の人たちは重い人たちが多かったと思います。みなさん術後の経過が思わしくないとか、何もする気がしないとか非常に暗かったと思います。あまり散歩をする人もなく、私だけが目立っていたのかもしれません。
何人かは夜中に、ベットごと静かに運ばれて行きそのまま戻ってきませんでした。

転機が来る
それから1週間ほどたった日、担当医はまだだと言っていたようですが、外科の偉い人?が本人があまりに元気なようですので、鼻から腸まで入っている管を抜いてみたらどうかと、提案していただきました。
一か月もの間何も食べていない状態で元気なわけはないのですが、気持ちだけは元気いっぱいだった私は是非にとお願いしてなんと担当医がいない間に抜いてしまいました。
やはり過保護は良くないようで、少しづつ腸の動きも活発化してきて、流動食も食べられるようになってきました。結局これから一週間程度で退院となりましたので、長い病院生活で食事はほとんど点滴で最後の少しだけ流動食とおかゆだけでしたので、この頃おいしくなったという病院食を味わえずじまいでした。

この頃も、病室は5階でしたが毎日階段を使い病院内を散歩していたのですが、ほとんどの看護婦さんがエレベーターを使わずに階段を歩いていました。不思議に思い聞いてみたらなんと一人の時はエレベーター禁止だったんです。それを知ってから、私は他の建物でもなるべくエレベーターを使わないようにしています。

本当の苦労が始まる
退院後本当の苦労が始まった。やはり大腸の3分の1と胆のうが無くなり、その上抗癌剤の副作用と思われるもが重なると大変でした。
人間の体は何一つ無駄なものはないのだなと痛感した次第です。
大腸が短くなると水分の吸収が悪くなるので、とにかく下痢気味・脂分の多い食べ物を取ると、胆のうに貯まっているはずの胆汁がないので供給が間に合わないで消化不良になる・盲腸(虫垂)がないので腸内環境が整わない。きりがないくらいの不調が次々に現れ手術をすると言う事はこういう事なんだと思い知らされました。
しかし、生活のためには何もしない訳にもいかず、仕事にも復帰して普通と変わらずの生活に戻りました。当然水面上では落ち着いて見えていたかもしれませんが水面下では足をばたつかせて焦っていたのを思い出します。

続く・・・・・

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